撮影:小野塚誠

【南阿豆『Scar Tissue IV〜消えない傷跡〜』@中野テルプシコール】北里義之

「消えない傷跡」と副題された今回のシリーズ第四弾は、過去作品からの自然な発展というより、こうした新生面の模索から戻っておこなわれた公演ということになります。2013年の『傷跡 III』では、「栗山美ゆき」名義で彼女自身が描いた屏風大のひまわり畑の絵がホリゾントに置かれましたが、これは3.11後の世界で、汚染した土壌から放射能を除去するのに、ひまわり栽培がいいという風説(その後、科学的には効果がないことが報じられました)をもとに描かれたもので、踊り手の身体に残る「傷跡」を、汚染された大地というもはや後戻りのできない負の存在に重ねあわせ、その再生を祈る舞踏によって刺し貫くという構成になっていました。この背後には、明示されなくてもつねにそこにある、大地に対して無条件にかきたてられる南阿豆さんの衝動とでもいうような<コンテンポラリー田楽>の系譜が横たわっています。本公演においても、次第に大きくなるスポットの周囲を手踊りしながらまわって歩く第一景に、私自身は、たったひとりの盆踊りという欠落感のある風景を見ていました。セパレーツの衣裳にビニールを重ね着し、膝を抱えて床のうえにうずくまる冒頭は、ビニール栽培で芽を出す野菜といった感じで、第一景は生と死に彩られた空間を暗示していたように思います。

撮影:小野塚誠

「消えない傷跡」は三景から構成されると考えられます。第一景:極小のスポットが少しずつ大きくなり、また極小の輪へとすぼまっていく流れの冒頭、床に膝を抱えてうずくまった踊り手は、尻をあげる形で芽を出し、茎が伸びていくように背を伸ばしていきます。やがて立ちあがった南さんは、両手を不規則に動かす手踊りをしながら、大きくなったスポットの輪の周囲におぼろに広がる暈の領域を、床に影を落としながら歩いてまわったあと、下手側で仰向きになり手足を空中に泳がせる舞踏型へと移行、広がった光の輪はその踊り手に収斂しながら暗転していきます。第二景:黒の衣裳に黒のパンストをかぶって(忍者のように)覆面をした踊り手が、楽屋口の下手側に立ったところからスタート。目が不自由な人のように足もとが覚束ない感じながら、照明に導かれて大きく会場を一周、ホリゾントにベタンと大きな音をさせて手をつくと、そこから観客席への前進と後退をくりかえすのですが、何回目かで突然足が床を離れなくなった様子。第二景はここまでが前半と考えてもよく、後半は、感情のはっきりとしない、動物のような奇声を発しながら、床のうえを転々と暴れまわる展開になります。以前の作品では、この転調部分が独立した場面として扱われていました。

「消えない傷跡」は三景から構成されると考えられます。第一景:極小のスポットが少しずつ大きくなり、また極小の輪へとすぼまっていく流れの冒頭、床に膝を抱えてうずくまった踊り手は、尻をあげる形で芽を出し、茎が伸びていくように背を伸ばしていきます。やがて立ちあがった南さんは、両手を不規則に動かす手踊りをしながら、大きくなったスポットの輪の周囲におぼろに広がる暈の領域を、床に影を落としながら歩いてまわったあと、下手側で仰向きになり手足を空中に泳がせる舞踏型へと移行、広がった光の輪はその踊り手に収斂しながら暗転していきます。第二景:黒の衣裳に黒のパンストをかぶって(忍者のように)覆面をした踊り手が、楽屋口の下手側に立ったところからスタート。目が不自由な人のように足もとが覚束ない感じながら、照明に導かれて大きく会場を一周、ホリゾントにベタンと大きな音をさせて手をつくと、そこから観客席への前進と後退をくりかえすのですが、何回目かで突然足が床を離れなくなった様子。第二景はここまでが前半と考えてもよく、後半は、感情のはっきりとしない、動物のような奇声を発しながら、床のうえを転々と暴れまわる展開になります。以前の作品では、この転調部分が独立した場面として扱われていました。

撮影:小野塚誠

第一景の最後に流れたギター弾き語りの男性ヴォーカリーズは、本作品の音楽的なテーマをなすらしく、各景の最後にかならず流れていました。特に第二景では、おだやかな歌声が踊り手の奇声を鎮めるという物語構成のなかで、果たす役割は大きかったといえるでしょう。ギターの音がやむと、そこから第三景であるクライマックスが暗転なしではじまります。小さく弱いスポットがうつぶせた背中の左肩あたりをぼんやりと照らし出すなか、踊り手はその姿勢を保ったまま全裸になり、足を抱えて床に横臥し、上手を頭にした背中をスポットのなかに浮かびあがらせました。骨格や内臓の動きまで皮膚を通して感覚させる、生き物としての存在をさらけ出すこの場面は、<傷跡>シリーズでは特に意味深い、すぐれて舞踏的なるものが突出する場所になっています。全裸になった踊り手は、頭をあげながら深く前屈する姿勢に移り、身体をゆっくりと上下させながら、ときおり片方の手を後方にあげて、最後の踊りのテーマである鳥の羽ばたきをしながら、スポットライトのなかで身体を回転させ、暗転が訪れるまで羽ばたきつづけました。生物としての人間を提示する解剖学的背面と、精神の解放を暗示する鳥の飛翔がいっしょになった幕切れは、高い緊張感のなかにあるものでした。

 

屏風のような絵画や装置めいた衣裳などがなかったこともあり、踊りの新生面を模索していた時期を通過した『消えない傷跡』は、とても観やすくすっきりした作品になっていました。全編を通して、ゆっくりとした時間を持ち運ぶ身体も、動きそのものに奇抜な形があるわけではない踊りも、強引なところのない、とても素直なあらわれ方をしていました。これはおそらく、照明や音楽が細かな操作によって観客の視線や聴覚を誘導し、踊り手の動きをリードし、厚みを持った時間/空間を演出していたため、踊り手は物語を描き出すような演技的動きから解放され、<傷跡>シリーズの本質というべきいくつかの身体(それはある動きだったり型だったりします)に集中していればよかったからと思われます。胸の傷跡を見せる演出すら今回はありませんでした。その結果、床上にできた円い光の大池をまわり、下手側の岸に立って水面に影を映しながら手踊りするという、第一景に登場したひとり盆踊りの幻想的風景は、これまでの公演にない高い抽象度を持った風景として迫ってきました。手の指から滑り落ちていく砂のようなつかまえどころのなさ。欠落感。終演後も強く身体に残った感覚です。